あなたは何のために生きてますか?と聞かれて答えられる方は少ないかもしれませんね。
わたしは、なんのために生きているのか?という問いの前にこの言葉が浮かびます。
『夢の叶えるために生きている』
この言葉は、ある芸能人の方のエッセイ本に書いてあった言葉で、今でもわたしの軸であり心に残っているもの。
この言葉に出逢った当時、中学生か高校生だったと思うのですが、、、「もう!めちゃくちゃかっこいい!」と思ってました笑
今思うとすごくクサイし、キザというより厨二病と的な言葉だと言われしまいそうだし、、、。
その後、この芸能人に起きたことを思うと、色々思うことはあるかと思いますが。
当時、高校生のわたしからしたら、もう大人の男性。
その人が自分は今もこれからも「夢を叶えるために生きている」と言えることが、心底かっこいいなと思いました。
見た目よりも生き様とか立ち居振る舞いとかに惹かれていたから、この言葉がすんなり受け入れられたんですよね。
39歳のいま思えば、高校生なんて可能性しかないし、今から高校生に戻れたら、もう何にでもなれると思えちゃう。
でもあの頃のわたしは、自分のことが嫌いで、自信がなかった。
家柄も貧乏で、母子家庭で、いじめられてたし、未来に光が差しているとか、自分に可能性があるということを受け入れられてなかったんですよね。
『夢を叶えるために生きている』
そんなわたしには、この言葉は眩しかった。
眩しかったけど、「夢を叶えるために生きていると言えるような生き方がしたい!」そんな想いは心にずっと秘めてきました。
よく、わたしの貪欲に学ぶ姿勢や、海外にたった1人で飛び出していくところとか、しかもこの見た目(?)で東南アジアに住んじゃうとか、周囲からは意外に思われたり驚かれることが多いところ。
「どうしてそんなことができるの?」
「なんでそうしようと思ったの?」
「どうしたらそういう生き方ができるの?」
と聞かれるのだけど。
そういう性質は元々持っていたと思うけど、後押ししてくれたのが、この言葉だと思います。
「なんのためにそれをするのか?」
お金のため、家族のため、幸せのため、いろんな理由があるかもしれないけど、わたしの行動の原動力は「夢を叶えること」なんだと思います。
夢を叶え続けた先にどんな景色が待っているのか?
進んでみないと見ることのできない景色を、わたしはこれからも見に行きたい。
『夢を叶えるために生きている』
恥ずかしげもなくそう言える日まで、わたしはコツコツ小さくも大きくも夢を叶え続けていきます。
お葬式で、近しい人達がわたしを思い出した時に、「夢を叶えるために生きてるような人だった。自分も夢を叶えたくなって、一緒に走ったね。」って言ってもらえるような。
(これ書いてたら、サイコーすぎて涙滲んできたw)
あなたは、なんのために生きていますか?